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【30代で年の差婚!】私が選んだ人生と仕事のかたち

みなさん、はじめまして。しおんです。
このサイトにお越しくださり、ありがとうございます!

基本情報

名前:しおん

生まれ:1992年生まれ(32歳)

出身地:茨城県生まれ育ち 

住まい:千葉県

趣味スポーツ観戦

しおん
しおん
「ねぇ、老後っていつから?」

ある日、ふと夫に聞いてみた。すると、

夫
「俺はもう半分入ってるかもな」

…いやいや、待って〜〜〜?

我が家は15歳差、歳の差婚。
結婚当初は「大人の余裕が素敵!」なんて思ってたけど、
ふと将来を考えると不安が押し寄せてきます。

・子供の大学費用、どうする?(大学までいかせてあげたいけど、費用どうする?)
・住宅ローン、払い終わる前に夫が定年!?
・夫が先に旅立った後、私の老後生活は…!?

考え出すとキリがないですよね。でも、不安になっているだけじゃ何も変わらない!
だから私は、

10ヶ月で稼ぐ力を身につけて、経済的自立を目指すことにしたんです。

私がなぜ、経済的自立を目指すようになったのか。
その経緯を赤裸々にお話ししていきます。

もし、あなたも将来のお金のことでモヤモヤしているなら、
私と一緒に考えていきませんか?

ザ・昭和漢な父と、優しき母のもとに生まれて

私は、優しい母と、
母より
8歳年上のバリバリの関西弁を操る義理人情の厚い自営業の、ザ・昭和漢な父のもとに次女として生まれました。

とにかく、厳しい父の元で育てられ、電子レンジも使えない典型的な亭主関白でした。
今の時代、虐待として通報されるレベルで、

とにかく

「人様に迷惑をかけるな」 「マナーを守れ」「裏切られてもいい。裏切る人にはなるな」

この3つの教えを、叩き込まれながら育った私。

例えば、食卓では父より先に手をつけるなんてご法度。お箸の持ち方が少しでも間違っていたら、「やり直し!」とご飯にありつけず、米粒を一粒でも残そうものなら、即・レッドカード。

「米一粒には神様がおるんや!」

と説教されながら、外に出されたこともありました。

小さいながらに学んだことがひとつ。

「女の人は男の人には逆らってはいけない」

あの頃の私は純粋に信じていました。

今となっては、時代錯誤ですよね

そして、少し前に流行ったあの曲・・・うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!
知ってます?あの頃の自分に教えてあげたいです(笑)

昭和の厳格すぎる父のもとで、自己解決が培われました。 「人様に迷惑をかけるな」という呪文のような教えのもと育ったので、今でも、周りの目を気にしすぎて生きづらさを感じる。そして、その反動で、自分の子供にはついつい甘くなりがちに…。

幼稚園〜小学校 夢みる少女時代

活発な女の子で、とにかく外遊び、運動が大好き!気がつけば男の子と遊んでいることが多かったです。3歳から2つ上の姉と一緒にスイミングを始め、年長の頃にはコーチに誘われる形で姉と共に選手コースへ。そこからは週6日練習の日々。学校が終われば男の子と鬼ごっこで全力疾走し、そのまま自転車を飛ばしてプールへ直行!そんな日常を送っていました。

小学校4年生で初めてジュニアオリンピックに出場し、「将来はオリンピック選手になる!」と卒業文集にも書いてしまうほど、水泳に没頭。まさに夢見る少女。

ただ家庭では、我慢の連続…

長男長女として育った両親の影響からか、
「お姉ちゃんなんだから…」という言葉は一切なし。「妹なんだから!」と何かあるたびに言われ続けた。おさがりは当たり前、新品なんて夢のまた夢。
姉と喧嘩をしても「悪いのは妹!妹から謝るのは鉄則」

どんなに姉が悪くても、年下が謝る。今思えば、理不尽極まりないですよね!

そして水泳をやる上で、父の教えがもう一つ。

「有言実行」は当たり前。

「不言実行」しろ
(不平不満や理屈などを口に出さずに、なすべきことを実行しろ)

また、変な教えがまた加わり、育ちました(笑)

そんな環境で育った私は、「世の中、年上の人が偉くて絶対に逆らえない」と思い込むようになっていった。言い訳など通用しない、人は努力ではなく、「結果」を見て評価するものと植え付けられました。

中学生 人生最大の挫折

 中学に進学すると、学校には水泳部がなく、いわゆる帰宅部。帰宅しても、走り込み、筋トレして、毎日2時間半で3キロ泳ぎこむ。

朝練も加わり、水曜・金曜は朝5時から筋トレ&スイム。びしょびしょの髪の毛で登校するのは日常茶飯事でした。

中学1年生では、茨城県代表に選出され、2週間グアムでの強化合宿に参加したり、
北関東大会で2位に輝くなるなど、
オリンピアンになるという夢を疑うことなく、
日々努力を積み重ねていました。

突然のスランプと年上からのいじめ

中学2年生になると突如スランプに陥り、中学2年生~中学3年生にかけて
関東中学校水泳競技大会、全国中学校水泳競技大会など主要大会への出場はするものの、
タイムが伸びず、悩み、落ち込む毎日。

追い打ちをかけるように、
学校に行くと、周りの女の子は昨日のテレビの話題で盛り上がっ
ているのに、テレビを見る時間など、皆無だった私は話に入ることが出来ず、、、

3歳から水泳を始め、毎日のように塩素に浸かっていた影響で、髪の毛の色素が落ち茶髪になっていたことから、こわーい先輩から、「調子乗ってんじゃねぇーよ」と目をつけられ学校に行くと上履きがゴミ箱に入っていたり、画鋲が入ってたりと、嫌な思いをしていました。

親や先生へ相談をしたかったのですが、年上の人は偉くて絶対だと植え付けられていたので

「全て私が悪いんだ」と思い、誰にも打ち明けることができず、見つからない時は、
スリッパを借りて1日過ごしていた。

見た目が悪い?と思った私は、お小遣いで薬局に行き「黒染め」を買って自宅で染めました。

すると、不自然になった黒髪を見て、先輩たちは、「やっぱり染めてたんだろ」と逆炎上🔥正しいことをしているのに、「なんで‥?」当時の私は、理解に苦しみました。

今まで自信満々で活発だった私が、水泳人生初めて挫折を味わい、
学校でも悩みを抱え人間不信になり「内気」になっていきました。

家庭の悪化

さらに!

追い討ちをかけるように、家庭にも問題が・・・

リーマンショックの影響で父の自営業が悪化。
もともとすごく裕福ではなかったが、より一層お金の話が家で飛び交うようになります。

仕事が減り、自宅にいることが多くなった父は常にイライラしていて、

そんな状況でも父にペコペコしてる母の姿。

専業主婦だった母はパートに出かけるように。益々家計が苦しくなる中、水泳の遠征費、合宿代、用具代、月謝代、塾に通っていた中、両親が家計厳しいと話してるところをこっそり聞いてしまった。

自分自身が家計を苦しめていることを中学生ながらに思い知ることに。
「水泳を辞めれば家族が楽になる?」そう考え、両親に「辞める」と宣言。

母は引き留めてくれたけど、父に気を遣う母の姿を見たくなかった私は、反対を押し切ってスパッと辞めたのが中学3年生の最後です

今思うと、ただきっと私は理由をつけて、水泳の世界から逃げたんだと思います。
姉より水泳のタイムでは勝ってた私が、水泳を辞めた途端、
勉強の出来た姉と比べられ、両親からは常にダメ出しの毎日。
姉は外面は良く、優等生ぶっている姉は両親の前では良き姉を演じ、私と2人きりになると罵声ばかり浴びせる裏表のある人。
そんな姉に対して、会話も少なくなり距離を取るようになっていきました。

現実を突きつけられ、夢に向かう少女はここで幕を閉じる。そして、お金がないとやりたいこともできない、幸せになれない。初めてお金価値を知りました。

高校生デビューのはずが

姉とは違う高校に進学。普通の高校生活を送る…はずが、

水泳という自分の支えがなくなった私は完全に「空っぽ」に。

今まであった確固たる自信がなくなり、自暴自棄に。

おしゃれをしても肩幅が広〜い私は、可愛い服も着こなせない。笑

何をやっても身に入らず、夢も持てず、周りと比べてしまう日々。

とりあえず、アルバイト三昧の毎日。
コンビニとサービスエリアのバイトを3年間掛け持ちし、お金お稼いでも
時には姉の大学費用に使われたりしていて、半グレ状態。

そんな当時聞いていた音楽は、加藤ミリヤの「20CAY」病み病みです。

多分生きてる価値もないんだなと思うくらい落ちていたと思います。

そして進路を決める時期になり、適当に選んだこの高校は進学校、、

周りは、専門学校や大学に次々と進路が決まっていく日々。

我が家といえば、益々家計は厳しく、
しかし、姉はひと足先に大学へ進学し、バイトもせず水泳三昧。高校、大学と水泳をやり続けインターハイ、国体と出場して、姉に対して羨ましいなと思っている自分がいましたが、「私まで大学に行ったら我が家の家計はどうなるのかな?」と思い、
特に目標もなく、人生を諦めていた私は就職することに決めました。

就職氷河期と呼ばれる時代になんとか、高卒で就職。

近所のホームセンターで、レジと事務仕事で働く毎日。この会社を選んだ理由は給与が高かったからで、その他のことはあまり考えてなかった為、土日は仕事となり休みは平日。同級生は進学してるので休みが合わず、友達とも疎遠になっていき、孤独な日々は続いていきました。

一方家計は益々厳しくなり、初任給は自分で使うのではなく
姉の大学費用に消えていった…


そんな生活をして1年後、父の会社が倒産し、
住宅ローンも払えなくなり競売にかけられ、引っ越しをすることになりました。

逃げるように結婚、そして・・・


そんな時、高校時代のバイト先で3年間常連だった3つ年上の彼と偶然再会。
そこから2年間交際し、20歳でプロポーズを受け結婚。
当時、姉はまだ大学4年生。一刻も早く嫌な家庭から私は逃げるように家を出ました。

新婚生活は、それなりに幸せでした。結婚して半年後には妊娠。結婚式は延期になったものの、長女を出産。父に何処か似てる、亭主関白である彼の強い希望で専業主婦に。家事に専念する日々が始まりました。

長女が1歳になったタイミングで結婚式を挙げ、ハネムーンはハワイへ。絵に描いたような幸せな家庭・・・のはずが、田舎あるあるの「長男坊の嫁」として義両親との同居がスタート。

どんなに礼儀作法しっかりしていても、結局、どこにいっても「若いママ」というレッテルをはられ、「若いから」の言葉で、片付けられることが悔しかったです。
義理母とも子育て方針の違いから、ぶつかることもありました。

そんな中、結婚から2年後に念願のマイホームを建設。やっと夫婦だけの生活・・・と思ったのも束の間、2人目を妊娠。出産間近の頃、夫の不倫が発覚。

それも結婚してすぐから続いていたと知りました。しかも相手は1人ではなく2人。
大好きだった人に裏切られたショック、そして「知らない方が幸せだったかもしれない」という自分。
人生で初めて「知らない方がいい幸せって存在するんだな」と思いました。

とはいえ、2人目の出産間近なので、旦那を問い詰めることも出来ず、一人で悩みを抱え、悶々とした日々を過ごしていました。

2人目を無事出産したとき、最初に思ったのは「離婚・・・」

専業主婦の私は考える時間も多く、ひとりで泣く日々。「働きに出て、お金を貯めて離婚する!」と決意しました。でも、年上の夫には何を言っても伝わらないと悟っていたので、何も言わず「働きたい」とだけ伝え、家のことはすべてやる前提で正社員として働くことを許されました。

長女が幼稚園に入るタイミングで、下の子も0歳児で保育園に預け、高校のアルバイト経験から調理師免許を取得し、隣の県(千葉県)へ保育園の調理師として働くことに。

どんなに忙しくても、辛い気持ちは消えませんでした。時間があると涙が止まらない。
半年後100万円の貯金ができた頃、ついに浮気していたことを問い詰めてみた!

返ってきたのは謝罪ではなく

「お前が悪い」の一言。

とっくに限界を超えていた私は、ついに離婚を切り出しました。

すると再びかえってきた言葉は

「お前は俺から離れられない」と。

今思えば、完全なるモラハラ夫でした。

その後、義両親にも相談しましたが、返ってきた言葉は
「浮気の一つや二つ、許しなさい」

当時の私は「浮気される自分が悪い」「許せない私がダメ」だと自分を何度も責めました。

でも、もう耐えられない。200万円貯めて離婚しようと決意し、自分の両親も巻き込んで離婚話を進めました。

ところが、私の両親は猛反対。

「子供が小さいんだから、小学校に上がるまでは我慢しなさい」と。

1年間、我慢して耐えてきた自分がバカみたい・・・

追い討ちをかけるように、毎日泣いていた私に、
当時3歳だった長女が放った一言。

「ママ、笑って?」

その言葉に、父の機嫌をとってペコペコ、はいはい、
と聞いていた母の姿が目に浮かぶ・・・・

子供のお金のために離婚をしない!という選択肢も、ありましたが

お金がなくても、私はお母さんにただ笑って幸せでいて欲しかった…

子供達には、「人の顔色ばかり伺って過ごす私のような人生歩んで欲しくない!」そう強く想い

ついにシングルの道を選びました。

慰謝料を求めるために弁護士の無料相談にも行きましたが、ここでも問題が。
不倫相手が旦那と同じ職場である女性であること、しかも2人の女性
と不倫関係。2人の女性は既婚者であること。こちらが慰謝料を請求すると、相手の夫から逆に請求される可能性があるとのこと。さらに、夫は地方公務員だったため、不倫が公になると職を失うリスクがあり、結果として養育費が支払われなくなる可能性も。

悩んだ末、訴えることを諦めました。

そんな夫は、「財産分与だろ」と言い出し、
私が貯めた200万円のうち100万円を請求してくる始末。

「もう何だっていいや」

そう思いながら100万円を握りしめ、
当時25歳、4歳と2歳の娘を連れてシングルマザーとしての新しい生活を始めることに。

両親には反対されていたので、「人には迷惑はかけない!」との教えがあったので、
一切、援助も助けも求めませんでした。


そして職場に近い隣の県へ引っ越しました。
子供たちの保育園は年度が終わる3月で退園し、4月から新たなスタート。

大人になっても…
どんなに社会のルールや、作法、礼儀が身についても・・・
社会からは、「若いから…」との理由で片付けられるんですよね。
そして、人は簡単に人を裏切る。

シングルマザー、怒涛の日々


こうして職場の近くの千葉県に移り住みスタート!
しかし、保育園の空き状況から子供たちの保育園はバラバラ。毎朝5時に起き、子供たちを起こしてご飯を食べさせ、6時半には家を出発。7時の開園と同時に1人目を預け、次の保育園に直行し、2人目を預けてから、ようやく自分の職場である保育園の調理場へ8時出勤。

正直、毎日が戦争でした。

そんな怒涛の日々の中、新たな壁が立ちはだかります。

予想外の経済的ピンチ

子供たちを扶養家族にしたのが離婚後だったため、母子扶養手当が満額もらえないという現実。

原因は、扶養控除が適用にならない!とのこと。

1年間は「え?これだけ?」と思うほどの額しか支給されず。

そして追い討ちをかけるように、元夫からの養育費がストップ。

「え?これでどうやって生きていくの?」

でも、そんな私を支えてくれたのは、友達や職場の周りの人たち。
本当に恵まれていました。友達が心配して野菜をくれたり、
本当に多くの人に助けられました。

いつも「人様に迷惑をかけてはいけない!」と、必死に笑顔で生きてきた私。
ところが離婚後、
友人にふと「そんなに苦しんでたなら、なんで言わなかったの?」
と言われ、「あ、悩みとか弱みって、人に話していいんだ!」
「無理に笑わなくてもいいんだ!」と気づく。
(いや、気づくのおっっっそ!)

「小1の壁」という新たな試練

そんな1年が過ぎたある日、職場で「小1の壁」という言葉を知ります。

保育園は朝7時から預かってくれるけれど、小学校は朝8時にならないと門が開かない。
そして長期休みの学童は、朝8時15分以降しか預けられない。

私の仕事は朝8時から。「え?無理じゃん‥」
さらに学童のお迎えは18時30分。保育園みたいに遅くまで預かってくれない。

ここでようやく気づきました。

「9時〜17時の仕事じゃないとダメじゃん!?」

正社員で9時〜17時の仕事を調べてみると、事務職くらいしかない。
でも私、事務職の経験なんて最初の就職以来ない。

そこで

「資格を取るしかない!」

と考えました。

勉強と育児の両立、無事クリア!

市が実施している職業訓練に目をつけました。

仕事が終わってから、保育園へ迎えに行き、夜ご飯をみんなで車の中で食べる。そして子供たちを託児に預け、18時30分から21時まで勉強。まずは日商簿記3級の講義を受講。寝かしつけた後も勉強し続け、3ヶ月後に無事合格。その勢いで、クラーク(医療事務)の講義も受け、また3ヶ月で合格!

気づけば、長女が小学校に上がる前になんとか、間に合いました。

そして、病院勤務へ

子供が小学生になるタイミングで、思い切って保育園を退職。
近くの総合病院に無事、再就職。

正直、やりたい仕事ではありませんでした。
この時は「とにかく生きていければいい!」という気持ち。
時間と通勤距離(半径2キロ)さえ合っていれば、それで良かった。

でも、医療事務は残業が多いと聞き、シングルの私には難しい。
簿記3級を活かせる残業の少ない総務課へ配属になりました。

仕事内容は、

  • 医局秘書として理事長・院長・副院長のアポイント管理
  • 医師の資格管理
  • 医師の給与計算
  • 研修医のローテーション管理

など

全くの未経験でしたが、私は、元々人前に立つよりも、誰かをサポートする
ことが好きだったので特に苦ではありませんでした。

人生の転機!?

そんな忙しい毎日の中、私はある人と出会います。

それが、今の夫。

「恋愛なんてしてる暇ない、一生独身でいい!」と思っていましたが、
上司として優しく、お互いバツイチ話が合う、15歳年上。

……なんか、包容力すごくない?

今まで年上の意見が絶対で、自分の意見を聞いてもらったことがなかった私が、人生で初めて、年齢関係なく対等に話してくれる姿に、心惹かれました。

ジェネレーションGAPはあまり感じることがなく、

しいて言えば、音楽。

初デートで連れて行ってくれたライブは…

「布袋寅泰」

「ぬ…ぬのぶくろ?とらやす?」

中年のおっさんしかいない会場に、当時28歳の女性(笑)

これは、流石にしんどかったです。

そんなことも、ありましたが、年上の魅力に初めて惹かれ

こうして私は、再び人生の新しいステージへと進んでいくのです。

まさかの人生展開!歳の差婚の道


2年の交際を経て子供たちの後押しもあり、再婚を決意し結婚。
当時、私30歳、夫45歳、小学校3年生と年長の娘2人。5年のシングル生活と終止符。

そして彼と出会って初めて、不倫された過去の私に罪はなく、
恥ずかしがることもないのだと気づけたのです。

やっと過去から解放され、

「これからは前を向いて幸せになるぞ!」

と意気込んだ私でしたが…

まさかの2度目のマイホーム購入!?

再婚してすぐに当時45歳の夫が、
「住宅ローンを組むラストチャンス!」と勢いでマイホーム購入を決定。

「これで安定した生活が送れる!」と思いきや、ローンの支払いはまさかの80歳まで!

(…いやいや、そこまで生きる保証はどこに?!)

さらに、夫には前妻との間に子供が2人おり、しっかり養育費を払っている。
「自分で選んだ道だから仕方ない」と理解はしているものの、将来への不安は募るばかり…

不妊治療、流産、そして奇跡の妊娠

元々子供が大好きで、大家族になりたかった私ですが・・・
夫が45歳と中高年だったせいか‥不妊治療をしてもなかなか子供を授かれず、
やっと授かったと思ったら流産し、手術。
心が折れそうになったものの、1年後に奇跡的に妊娠し、3人目となる長男を無事出産。

育児休業中は考える時間が増え、未来への不安がどんどん膨らんでいきます。

・夫が亡くなったら遺産は実子と折半…
・夫の前妻は専業主婦だったため、夫の年金は分割されていて当てにならない…
・一番下の子が20歳のとき、夫は70歳近く…教育費どうするの?!
・万が一、夫がボケたら介護?しかも親の介護も重なる?ダブル介護?!
・上の子たちの孫の世話をしてあげたいけどお金ない…?

考えれば考えるほど、不安しかない!!

やっとセカンドライフを掴むことができましたが、
漠然と将来の不安が迫ってきました。

職場復帰しても、私の給料は・・・

産休・育休が終わり、仕事に戻らなきゃいけない。
ふと冷静に考えてみると「私の給料、そこまで高くないよね?」

いや、正確には「たかが知れている」

それだけならまだしも、一番下の子を保育園に預けるとなると、さらに問題発生!

うちの世帯年収は一応高いほう。でも、主人は養育費を払っていて、実際の手元に残るお金は……うん、まあ、思っていたより少ない(涙)

でも!!!!

保育料は世帯年収で計算されるんです。当たり前ですが(笑) で、私の地域では最高額の約7万円!!

7万円って。ちょっと待って、旅行行けるじゃん?!

3歳の無償化になるまで、そんな大金を毎月払うなんて無理すぎる。

それに、
上の子たちには、シングル時代に今までずっと寂しい思いをさせてきたし、
これから大きくなる一番下の子には「おかえり!」って言ってあげたい。家にいたい。

でも、お金は必要。

定年退職した夫とも、働き詰めの生活ではなく、夫婦老後楽しい生活も送りたい!
子供たちのために資産を増やしたい!

そこで子供を在宅で保育しながら働けるものはないか?っと
「在宅ワーク 稼げる」と検索しまくる日々。
そんな時、インスタをぼーっと眺めていたら、目に飛び込んできた広告。
「オンライン秘書って?」

興味を持って調べると、オンラインで事務として働く。しかもフリーランスとして活躍できる可能性があるらしい。これだったら、事務職をやっていた経験から、

場所に縛られず、仕事ができるかも?

「これだ!」と思い、思い切ってスクールに入会。人生初の自己投資!

3ヶ月間のサポート付きで、目標に向けて突っ走るコース。しかも、そこではインスタ運用代行も学べる。

実際に学び始めると……うん、楽しい。

これ、めっちゃ楽しい!!

今まで「仕事=生きていくために、やらなきゃいけないもの」だった私が、
初めて楽しい仕事「やりたい!」と思えた。

そして、水泳以外に没頭して何かをやったこともなかった私が、没頭できるものを見つけた!

「これなら家にいながら稼げるかも……!」

そう思った矢先、「Webマーケティング」講座に出会う。

稼ぐ力を身につけたら、月収50万円も夢じゃない?!

そうして私は、在宅ワークの世界に飛び込むことにしたのです。

最後に

私は、夫や家族の将来のために、経済的自立に挑戦しようとしています!

歳の差婚で同じ悩みを持つ方、多いのではないでしょうか? 

将来の不安… 親の介護、夫の介護、子どもの大学資金。
考えれば考えるほど、頼れるのは自分しかいない!そう痛感する日々。

「いざとなったら夫がなんとかしてくれる」
そんな他力本願な考えは、もう卒業しませんか?
むしろ、
「私が大黒柱になる!」くらいの覚悟で、
自立した未来を目指しませんか?

もちろん、経済的自立は簡単な道ではありません。
「お金がないから…」とやりたいことを諦めるのではなく、
「お金の心配がないから!」と胸を張って生きていきたい。

子どもの未来も、自分の人生も、もっと自由に。
そんな理想を叶えるために、共に頑張る仲間が増えたら嬉しいです。

そして、最終的には… 「私が夫を養ってるのよ!」と冗談めかして言えるくらい、
たくましくなっていたいものです(笑)

私の叶えたい未来は、みなさんに届けたい未来でもあります。
一緒に、自分の足でしっかり立ち、理想の未来に向かって稼ぐ力を身につけましょう!

気になった方は、是非このブログを覗きに来ていただけるとうれしいです。

長文にお付き合いくださり、ありがとうございました!